そこに理由があるのか
ひろゆきの1%の努力を読んだ(聴いた)中にこんな1節があった。
『生きてる意味なんてないのだから、楽しんだ方がよい。』
僕自身もそれこそ生きている意味や生まれた理由なんかを探しては見つからなくて
そういう風に考えたこともある。
どうせ死ぬもんなぁと投げやりになるくらいなら、
いつか死ぬんだから生きてる今を楽しまないと!ってなったほうがいいもんね。
仕事は楽をすることが効率化を生むし、
適当な発言が斬新なアイデアに変わることもある。
何かにつけて理由を求めてしまうこともあるけれど、
理由がないってことも強いよな、と感じる。
例えば、こうだから好きだといわれるとそれがなくなったら好きじゃなくなるのか、と不安になる。
あ、でも理由がある方がそれがあれば大丈夫なんだと頑張れる人もいるか。
でもまぁ、こうだから嫌いは改善の余地を与えるけど、
なんとなく嫌いはもう手の施しようのないきつさがあるね。
将来はAIなんかが自分の意思を持つのかもしれないし、
(それでもきっと膨大な過去のデータからしか創れないとは思うが)
感情だけで進むことができない場面もきっと多いだろうが、
そこに理由がなくたって、そうである事実は変わらないので、
その事実を受け入れて、その時に最善の選択をするってことが人間ってことなのだと思った。
感情に素直に生きていくことも大切だよね。
それが正しかったかなんて、後にならないとわからないし、
正解が不正解に、不正解が正解になることだってざらにあるんだから。