生きるということについて

少し前のこと。

息子が泣いて起きてきたらしい。

死ぬのが怖いと。

 

あぁもう5歳でいつか死んでしまうことをわかってるのか、と驚いた。

それと同時に私もたまにそう思って悲しくなる事があることを思い出し、40近くの私でも悲しいのだから相当悲しかったのではないか、と思った。

 

確か小学生高学年の時にもこのテーマについて文章を書いて記憶があって、

その時から死ぬのが怖かった。

もちろん今も。

 

たまに思う。

私は1984年に産まれた。

今、2021年。

私が生まれる前にそれだけの年月が経っており、おそらく死んでからそれ以上の年月が経っていくのだろう。

そして私の記憶などせいぜい小学生くらいからだし(断片的なものばかりだが)、ここ最近を考えてもいいことばかり思い出すような都合の良い記憶ばかりだ。

さらにもしかすると歳を重ねていったら記憶を無くしてしまうかもしれないし、そうなったらもう自分ではないのかもしれないと思う。

 

しかも、厄介なことに『終わる』ことだけが怖いのではなく、『続く』ことも怖い。

その時私は感情も記憶も持たないのだろうから、気にしても仕方がないことだとは思うけど。

この先、何十年、何百年、何千年と続いていくであろうこの世界にいないのか、と思うことも悲しく、

でも仮に死ななかったら一生続いていく終わりのない世界に生き続けるのか、と思うことも怖い。

 

ゲームの世界のように確固たる目的があって、それを達成したら終わりが来る。

それもいいのかもしれない。

でもそうなると問題は、目的が何かわからないこと。

目的がなかったら生きる意味がないのか。

そんなことはないだろうし。

 

こんなことをふと考え出したら気持ちがしんどくなる。

そんな時にそこから復活するためにいつも、今まで出会った人、今も仲良くしてくれてる人、好きな音楽とかを思い浮かべ、

みんなと同じ世界に産まれて良かったやん、と思う。

そしてみんなも同じやん、と思って、疲れて寝る。

 

コロナでなかなか簡単に会えないけど、

また何か時間を共有したいな、と思っています。

よろしく。